『不幸の尺度』について考えてみる。
主観と絶対
昨今、非常に物事を主観的に考えられない人が多い。主観的という言葉の意味すら取り違えているのが現状と言える。 間違えとしては、主観を絶対と捉えている。「自分の考えが絶対だ!全て正しい!」という主観。 主観という意味の答えは、『相対』。つまり、絶対という意味ではない。 この意味を取り違えたまま、おかしな方向に考える人が多くなった。
不幸のぬるま湯
自分の考えを絶対と考える人に多く見られるのが、「自分が一番不幸だ!相手が悪い!自分は悪くない!」という考え。
一番不幸と考えなくても、「相手が悪い!自分は悪くない!」というのは必ず当てはまるはず。
いつからこんな傲慢な考えが出てきたのでしょうね?
私はこの考えを、『不幸自慢論』もしくは『ぬるま湯論』と呼んでいます。
表現が極端ですが、不幸自慢というものは非常に心地が良いものです。正に、ぬるま湯から出られない状態のことを指します。
ぬるま湯に浸かっている間は、寒くもなく熱くもない。でも、ぬるま湯から出るのは容易でない。だから、浸かり続ける。
これを不幸に当てはめればそのままになる。不幸のぬるま湯に浸かるといえよう。
だから、不幸の連鎖から抜け出すには並大抵の努力じゃ足りない。ぬかるんだ足場をちゃんと固めないといけない。
助け合いの精神や思いやりって、どこにいったのでしょうね?
例を三つ挙げて、『不幸の尺度』について考えてみよう。
Case.1 自分が一番不幸
ここに、Aさん、Bさんがいます。Bさんは困っていました。常日頃からAさんがBさんをネタに下ネタを言い続けていたからです。 Bさんは、再三再四「私をネタにするのは止めてくれ。不愉快だ。」と、自分の意思を示していました。 しかし、Aさんは聞く耳を持たずBさんをネタに遊び続けました。
Bさんは試験が間近ということもあって、一時的にAさんと接することをやめることにしました。 これがまさかあんな事態になるとは思いもしなかったでしょう…。
試験期間中でしたが、BさんはAさんのことが気になってかコンタクトを取ろうとしたら…、一切取れません。
Aさんは数日間の音信不通を『虐め』と受け取り、完全にBさんを無視していました。
BさんがやっとAさんとコンタクトを取れたと思ったら、理不尽とも言える怒涛の攻撃が待っていました…。
A「音信不通になるとは何事だ!それが大人が取る態度か?そりゃあ、俺もお前をネタにしたのは悪いんだろうけど、
お前が絵を描いてるって言ってたのが悪いんじゃないか!お前が原因だ!」
B「…(えー…何これ?)」
A「お前、知ってるよな!?俺が前に○○さんと交流ができなくなって、落ち込んでたの!」
B「…、いや、だからって、私を無視することはないだろ…。
そうやって、嫌なことがあったら直ぐに何もかも拒絶するのはあんたの悪いとこ…」
と、Bさんが言いかけたところを畳み掛けるように
A「俺は悪くないって言ってるだろ!俺はあの時、包丁を首に当てるまで追い込まれたんだぞ!
お前にあの時の苦しみが分かるかっ!?分かるわけないよなっ?そんな俺に…、こんな仕打ちしやがって!親に止められなかったら死んでたぞ!」
B「…。」
Bさんは黙り込むしかありませんでした。確かに、Aさんの事情を知らずに音信不通になったのは悪いのでしょうが、 Bさんから言わせれば、Aさんの包丁事件なんてかわいいものです。Bさんは以前、非常に辛い目に遭って左手首を切っています。 今でも自由に左手を動かすことができません。リハビリの末、何とか普通の生活を送れるようになった状態です。 それから考えれば周りに止めてくれる人がいるAさんは、非常に恵まれた環境といえるでしょう。
この後、BさんはAさんとの関係を改善するために謝り続けました。しかし…
A「謝って済む問題じゃない!お前が何しようが死のうが知ったことか!お前もいい大人なんだからいい加減分かれよ!なっ!?」
B「ごめんなさい…。」
A「だから、謝って済む問題じゃないって言ってるだろうが!これ以上の話は無駄だ。」
B「…(どうすればいいんだろう…。)」
A「お前、前に言ったよな?知り合いが困ってるからどうしたらいいかって?よくそんなことが言えたものだな!?
俺に相談する前にお前が俺にしたことを考えてみろよ!」
さすがに、Bさんは困惑してました。すると、改まってAさんが…
A「今まで私と付き合ってくれて、大変ありがとうございました。
今後あなたと交流することは一切ないでしょうが、学問を頑張ってください。感謝してもしきれないです。ありがとう。」
と、敬語を使っているようで恐ろしい毒・嫌味が含まれている表現です。
B「…、いや…、だから、何でそう考えるかな…。私は仲直りしたいだ…」
Bさんが言いかけたのを遮るように、
A「これを機に人間関係を見直したら?良い肥やしになっただろうが!以上だ!」
と、言ってAさんは去っていきました。
その後、Bさんは試験に全く集中できず結果は散々だったようです。
そして、うつ病になり…。
この後は皆さんのご想像にお任せします…。
これは、絶対的な考えのいい例と言えるでしょう。人の心情を考えず、独りよがりな考えと言える。
この場合、どちらが悪いのでしょうね?Aさんが悪いとも言えるし、Bさんが悪いとも言える。
Aさん寄りに見れば、知らないとはいえ心の傷をえぐったBさんが悪い。
Bさん寄りに見れば、全く聞く耳持たずBさんをネタにしてたAさんが悪い。
もっと思いやりを持ったほうが良いと思いますけどね。逆ギレともいえる状況ですし。
Case.2 お前が盗作
ここに、Cさん、Dさんがいます。二人は共に絵描きです。二人の絵は全く異色ですが、共に素晴らしい絵です。 しかし、ある日事件がおきました…。
ある日、突然Dさんが…、
D「なぁ…、Cさん。いい加減わたしの絵を盗作するのは止めてくれませんか?お願いします。」
身に覚えがないCさんは、困惑して
C「え…、ぼく、そんなことしてないよ…?何かの間違いじゃ…。」
すると、Dさんの態度が一変します。
D「あっ!?してないだって!そんなことあるわけないだろうが!ふざけるな!そっちがその気ならこっちにも考えがあるよ…。」
Cさんはどうしたらいいか分からず困惑してました。
Dさんが言うには、『構図がかぶっている』『アイデアを盗まれた』とのことです。
改めて確認しますが、二人の絵は全く異色のものです。例えるなら、Cさんはアニメ、Dさんは絵画。対極とも言えます。
構図がかぶっているというのは、物の配置が似ている程度。確かにそうかもしれない。
人を左に置く、ぬいぐるみを右に置く。これだと右か左かだけである。
アイデアを盗まれたというのは、同時期に背景に草むらを描いたということ。確かにそうかもしれない。
でも、草むらなんてありふれたアイデアと思うが…。
その後、CさんとDさんは水面下で争い続けました。盗作した、盗作してないと。
共に実力のある二人は絵の仕事を請け負うようになっていきました。その時からCさんに対して、何者かによる嫌がらせが始まりました…。
Cさんのもとに毎日のようにファンの人から、
「何でこんなひどいことを私に言うのですかっ?あんまりです…。Cさんには失望しました。絵が上手くても人間として最低ですね。」
何が起こったか分からず、Cさんはファンの人に経緯を聞きました。
ファンの人が言うには、Cさんがファンの人に対して大量の嫌がらせメールを送ったのこと。
もちろんCさんはそんなことをした覚えがありません。どうやら、差出人を偽造して何者かがメールを送っているようでした。
Cさんは事態を収拾しようと、自分のWebサイトにメールについての注意書きを掲示しました。
しかし、時すでに遅し。Cさんの信用は地に落ちました…。
元々、体の弱かったCさんは体を壊し、入退院を繰り返すことになりました…。食事もままならず、毎日嘔吐し続けたそうです。
何とか体調が回復したCさんは、パソコンを開きました。メールを見ると、嫌がらせメールやウイルスメールが大量に来ていたそうです。 Dさんの名前で…。それらのメールはDさんが送ったものではないのかもしれませんし、Dさんが送ったものなのかもしれません。 真実は分かりませんが、恐らく、騒動を聞きつけた愉快犯の仕業でしょう。 噂が噂を呼び、善からぬ考えを持った人を呼び寄せたのです…。
これは、被害妄想の末に他人を傷つける例です。確かに時間をかけて描いた絵は、描いた本人にとってかけがえのない作品です。
盗作されたと一度思ってしまえば、その後、疑心暗鬼になってしまうのも理解できます。
しかし、その結果他人への思いやりを失い、他人を傷つけるのは如何なものでしょうか?表現が悪いですが、所詮同じ人間が作ったもの。
どこかしら似ているはずです。もう少し心にゆとりを持ったほうが良いと思われますね。
例えば、リンゴを同時期に描いたら全部盗作ですか?
Case.3 自分が偉い
ここにEさんとFさんがいます。二人は普段から馬鹿を言い合う仲です。チャットで良く色んなことを話していたそうです。
ある日、Eさんはあるサイトのことを知りました。Fさんの裏サイトです。その裏サイトにはとても酷いことが書かれていました。
他人への誹謗中傷が大量に…。
もうお分かりと思いますが、もちろんEさんの事も大量に書かれていました…。
何と…、EさんとFさんのチャットのログを載せていたのです!Eさんは愕然としました。プライベートの侵害も甚だしい行為だからです。
しかも、それに加えてFさんのコメントがひどかったそうです。EさんとFさんとの会話に対して、
F「Eってさ、これでも20歳の大人だぜwwwwww?こういう奴のことを人間のクズって言うんだよなwwwww馬鹿だよな。死ねばいいのになw」
こういう類の誹謗中傷がほぼ毎日書かれていたそうです。Fさんのサイトの掲示板では、Eさんをネタに盛り上がっていました。
G「クラスに一人はこういうどうしようもない馬鹿っているもんですよね(笑?しかし、Eさんがこんな人間だったとは…。関係を見直さないとなぁ(笑」
F「そうそう!どうしようもないよね!あっ、でも表面上良い人を気取ってるからさ、そういう面では大丈夫だと思うよwwwww」
Eさんも知っているGさんと共にFさんは、Eさんをけなして笑っていました。
Eさんは愕然とし、嘔吐し、そして痙攣を起こし、倒れました。
Eさんは悩みました。個人を特定しての中傷…、十二分に名誉毀損などの罪で訴えることができます。 しかし、Eさんは、Fさんが思いとどまって改心すると信じていました。それが…さらなる悲劇を呼ぶことになるとは知らずに…。
ある日、Fさんが急に
F「Eさん…、俺、Eさんに謝らないといけないことがあるんだけど…。」
E「えっ…、何…?(ついにきたか…)」
F「本当にごめん!」
Fさんが、裏サイトのアドレスを送ってきました。改めて見てもひどい内容でした。愕然としながらもEさんは
E「……、いや、ぼくも馬鹿なこと言ってすまなかった。」
F「本当にごめんね…、Eさんのことを書いた部分消そうか?」
E「……、あ…、まあ、事実といえば事実だから…。ごめん、気分悪いからまた…。」
Eさんは、何とか堪えてその日の会話を終わりました。
明くる日、EさんはFさんの裏サイトを見て愕然としました。
F「やったよ!おい!Eさんから、記事の掲載許可をもらったよ!これで思う存分書けるよ!」
Eさんは、また倒れました。
Eさんは、Fさんに以前から裏サイトのことを知っていたこと、痙攣を起こして倒れたこと、
法的にFさんを訴えるという趣旨を書いたメールを送りました。
加えて、一緒にEさんを中傷したGさんにも同様のメールを送りました。
その後、Fさんは裏サイトにあるEさんの中傷記事を削除し、Eさんに謝りました。 ちなみに、他の中傷記事は消していないそうです…。
これは、自分が一番偉いと思っている例です。確かに、馬鹿を言い合う仲だと会話にトゲがあるのは良く見られることです。
しかし、その会話のログをネット上に公開し、さらに個人が特定できるように中傷するというのは言語道断です。
途中、Gさんが出てきましたが、一緒にEさんを中傷するのではなく、『諌める』という行為をするべきだったのではないでしょうか?
こういう事態はネット上ではよく見られることです。最低限、道徳的意識を持ち合わせるのが必要と思われます。
顔が見えない分、物理的でなく精神的に繋がってると私は思いますけどね…。
不幸の尺度
上記の3つの例は、事実を元にしたフィクションです。
人それぞれ考え方が違います。考え方が違うということは、基準も違います。基準が違えば、すれ違いも生じます。
自分を中心と考え、他人を思わない。そんな考えが増えてきた現代。
最低限のモラルというものを皆が持ち合わせることが大事だと思います。
自分が一番不幸だと思うのは、傲慢以外の何ものでもありません。
自分が一番不幸ということは、自分が一番偉いと考えることと相違はありません。
自分が一番不幸と考えるのは、自分だけの物差しでしか物事を図れないことです。
かく言う私もそんな一人だと思います。だから、このようなコラムを書きました。
一度、自分の『不幸の尺度』という『ものさし』を折ることが必要ではないでしょうか?
そして、『冷静に第三者の視点から物事を見る能力』を養うことが必要でしょう。